ロクチカの寄り道@リウマチJKの不満
こんにちは、ロクチカです。
今回は、関節リウマチを患ってマイナスな気分をたくさん経験したのでそのことを書きます。
やりたいことができなくなったり、今まで普通にやってた事ができなくて、なんだろう...ポジションを失うというかその役割での居場所を失うというか...
この××××リウマチのせいで!!!!
そう思わざるを得ないことってたくさんなかったですか??
それの、まずは高校時代のマイナス気分について話します。
【高校生の私がリウマチで最悪だったこと】
- 評定が下がった
- 部活ができなかった
- 周囲の理解がなかった
- 痛てぇ
- まとめ
1.評定が下がった
高等学校の「単位制」というシステムや「指定校推薦」というものは、地味に悩ましい問題でした。
発症直後、手首や肘といった上半身が痛かったのですが、まあ体育は無理ですと。
そうするとどうなるか?
評価が下がります。見学者はレポートを書くという救済措置もあったのですが
マット運動などあった高1当時は、腱鞘炎だと勘違いしていた時期がモロかぶり...
ずっと休む訳にもいかず、できることは頑張って続けました。
「単位落としたくない」「ワンチャン指定校推薦でいい大学いったらお母さんが喜ぶ」
そのくらい誰でも考えることでしょうが、並大抵の努力じゃ届かない文武両道ボーイズ&ガールズたちのいる学校でもありました。
正直、手首痛くてペンも握れぬ私に努力を勉学前振りでそいつらと立ち向かう攻撃力は無かったのです。
結果、評定は綺麗にバランスよく下がります。
座学系は幸運なことにまだ極端には下がりませんでした。
公文の暗算力と用語暗記頑張ったからかな?
2.部活ができなかった
軽音部といったら楽器演奏...私はギターを選んで、練習も初心者ながら頑張らねばいけなかった。
でも4ヶ月くらいで大事な手首が動かない。弾けない。
ライブも中止。お呼びがかかる以前に、それを見せるイベントにも出られない。
固定バンド制をとっていましたが、私含めバンドメンバーは全員掛け持ちでバンドを持ち、そっちで活動はできていた。
私はどっちも参加出来ず、どんどん私のバンドメンバーは別のバンドでライブを重ねる。
いやもう不貞腐れますよ。
復帰したところで、私の出る幕は無いんだな
そんな性格悪いこと考えていたというか、リウマチを理由に後ろ向きすぎたというか。
ただ、これは本当に私の勘違い・勝手に不貞腐れてただけでした。
バンドメンバーたち:彼女たちは、私と組んでくれているバンドをとても愛してくれていました。
手の調子が改善しライブできるとなった時、他のバンドライブで忙しいだろうに、彼女たちは一緒にライブをしてくれました。
確かに、下手だし練習を重ねた連帯感も足りないかもしれないバンドだったろうな
でも、社会人となった今もご飯食べに行ったり遊んだりできる仲です。
高校の友達で遊ばなくなった部員仲間は数あれど、このバンドはずっと仲良しです。
彼女たちには感謝をしてもしきれない。
だから、私は私なりのやりかたで恩返しをしつつ、これからも楽しい思い出を作っていきたいです。
3.周囲の理解がなかった
これは、半分「腱鞘炎」だと思われてたせいです。
「まだ治んないの?」
「いつになったらできるの?」
これは、相手にもストレスだっただろうし
「いや、私にもわかんねえよ!!!💢💢💢」
って私にも精神的負担のある言葉でした。
「いつも包帯してんな」
という厨二病疑惑を出した言葉もあります(笑)
関節リウマチっていう病気なの
といったところで、知ってるーとなる高校生いないです。
知ってて、「温泉の効能にあった?」と思い出すくらい。
いうてあの温泉の表記ヤじゃないですか???
効能=治る的なイメージあったので、温泉行けば治るやんみたいな。
いまんとこ寛解目指してっから。そんな簡単に治んないから!!!
脱線はここまでにして...
だから、できない事が増えてくると、
なんであいつやらないの?
ってなるんです。
しかも怪我と違って長期間になるので
仮病?
というイメージを持たれるのが怖くて、無理をしがちだった感じです。
そういうふうに、リウマチの患者数に比べて認知度が低いということなのか、
- 気を遣う
- 今まで自然にできてた事ができない
という、体力的&精神的ストレスが大きかったです。
私だって、罹患するまでは名前しか知りませんでしたし。
みんなそうです。そこはさすがに仕方ない。
4.痛てぇ
今まで経験したことのない痛み。謎の発熱。倦怠感。
人生でこんな気持ち悪い苦しさあったんか???っていうのを16歳から経験していることになります。
それにより、同年代の子達が当たり前にやっていることをできなくなりました。
- シャンプー(一人でお風呂に入る)
- ドライヤーで髪を乾かす
- 髪を結ぶ
- 肩掛けカバンを持つ
- 字を上手に書く
- 腕立て伏せ
- マット運動
- ギターを弾く、担ぐ
- ドラムを叩く
- 布団を畳む、運ぶ
- スマホを片手で持つ
- 財布を持つ、開ける、お金を取り出す
- 紙をハサミで切る
- 茶碗を持つ
- フライパンを持つ
- 皿を洗う
- 掃除機をかける
- ボールを投げる
- 自転車のハンドルを掴む、動かす
- 犬をわしゃわしゃする
ちなみにこれ、一番痛かった時期こんなんでした。ガチで。
思い出したらもっとあるかも。
なぜこんなにできないのか?
痛みもありますが、その痛みによって
握る力が弱っていたのです。
どのくらいか?
なんと当時の握力...2キロ!!!
何も持てないwwww
しかし、意外とできたこともありました。
- 消しゴムで字を消す
- 箸でご飯を食べる
- トイレットペーパーでお尻をふく
これらの共通点が何かというと
もともと左手でやっていたor左手でもできていた
ことです。
2kgの握力になるほどの右手首が大本命だったのですが、左握力はまだ16キロほど残っていたし、左は肘が本命でした。
なんとか左手があればできないこともない。
掃除機やエレベーターのボタン押しなどはそれで乗り切れたのです。
5.まとめ
結果、高校時代は
「痛くてもやる」か「左手でなんとかやる」
しかなかった。
だってどうせ誰もわかりようがないし、わかっても逃げられなかったから。
いやあ、ほんとに苦しかった。
心がモヤモヤするんです、あの痛みやできない事が続いた時、モヤモヤ・ドキドキの不快感が凄かったんです。
「今私、ストレス感じとるわ...」
はっきりわかんだね。
それでも学生って逃げられる場面沢山あると思うんですけど、てかあるはずだったんですが...
やっぱり本人の気の持ちようが全てでした。
本人なりの「コミュニティ」や「自己顕示欲・承認欲求=当時生きる意味だと感じていた何か」からはみ出さないように命かけてた気がします。
今でも、自分の納得できる逃げ方は思いつきません。
だから無理はしたけれども、これはこれでよかったんです。
そしていろいろ苦しいことはあったけれども、
だんだん合う薬がわかってきて痛みも少なくなって
なんとか元気に社会人をやれています。
どこでリウマチになってもタイミング悪いことに変わりはなさそうですが、自分がやりたいようにやれば結局後悔は生まれないんです。
今は辛い思いも、遠く離れた人とだって分かち合える時代です。
譲れないものは無理したっていいので、
気楽にいけそうならとことん力を抜いていきたいです!!
長々とお付き合い頂きありがとうございました!
大学生編も書けたらと思いますので、次回もよろしくお願いします。